- JLogos検索辞書>
- 松下村(近世)とは
「松下村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
松下村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
松下村(近世) 江戸期~明治9年の村名遠江【とおとうみ】国山名郡のうち遠州灘に注ぐ弁財天川上流域に位置する横須賀藩領,元禄11年からは旗本菅谷氏領村高は,「元禄高帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに244石余戸数20余(遠淡海地志)寺院には曹洞宗松福寺がある佐々木貞氏の子の秀頓(秀敦)が松下右衛門尉と号して「山名郡松下」に居住したともいう(佐々木系図)地名は松下嘉兵衛の弟松下石見守の出身地に由来するとも(風土記伝),松下嘉兵衛同苗の今川家士馬伏塚城主大須賀康高組付の松下助左衛門が居住していたことに由来するともいう(遠淡海地志)助郷は嘉永4年当時は東海道袋井宿定助郷の代差村72か村の1村(袋井市史資料2)安政3年には弁財天川中流の江之端悪水吐の普請をめぐり浅羽【あさば】輪中の当村ほか北部9か村と南部30か村との間に争論が生じた(袋井市史資料3)水害も受けやすかった明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県,浜松県所属明治9年,岡山村ほか3か村と合併して浅名村となる現在浅羽町大字浅名の通称地名として残る... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」